忘れ得ぬ昭和のセクシー女性演歌歌手

忘れ得ぬ昭和のセクシー女性演歌歌手

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仕事で老人ホームを訪れた時のことです。

80歳過ぎの男性利用者さんの部屋からハスキーな女性歌手の歌声が流れていました。

あまりの歌唱力の素晴らしさにしばし聴き惚れてしまいました。

今時このような歌唱力の歌手はあまり思い浮かばないので、最初は誰かわかりませんでしたが、その利用者さんのCDのケースから昭和の人気歌手だった青江三奈だとわかりました。

そのハスキーな歌声と容姿にすっかり惚れ込んでしまった私は、青江三奈のことを少し調べてみようという気になったのです。

略歴(出典:ウィキペディア)

高校を卒業後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める。

「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。

1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビューし、80万枚を売り上げるヒットとなる。特徴的なハスキーな低い声で歌うブルース演歌が評判となった。

1968年に冒頭部分の「色っぽい吐息」が有名な『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚をそれぞれ売り上げていずれもミリオンセラーを記録。「伊勢佐木町ブルース」で第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞した。

1969年に『池袋の夜』が150万枚[を売り上げて自身最大のヒット曲となり、史上初めて2年連続で第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。同年の『国際線待合室』も75万枚を売り上げた。1969年度のレコード年間売上金額は青江が全歌手の中で1位、翌1970年度は4位だった。紅白歌合戦出場通算18回

青江三奈の魅力はハスキーボイスと、男性ファンを魅了した素敵な笑顔とセクシーな容姿にありました。

これは直接映像を見た方が伝わるかと思います。

とある東京の庭師が手記に次のようなことを書いていました。

青江三奈から自宅の造園を頼まれたことがあったそうです。

休憩時間に青江三奈が自分の歌を口ずさみながら、その庭師や作業員のためにオニギリを自分で握ってあげてご馳走したそうです。

その庭師は普段はテレビでしか視たことのない青江三奈から手製のオニギリをご馳走になり、大変感激し又恐縮したと記していました。

青江三奈は東京の下町育ちであり、気さくな性格だったようです。

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