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仕事で老人ホームを訪れた時のことです。
80歳代の男性利用者さんの部屋に入った時、女性歌手の歌が流れていました。
懐かしい青江三奈の歌声です。
やはり歌唱力は超抜群。
今も演歌歌手は大勢いるが、これほど低音を魅力的に歌える歌手は他にはいないと確信したものでした。
少年時代に伊勢佐木町ブルースを何度かテレビで聴いたことがあり、その時はお色気のあるおばさんという印象しかありませんでしたが、年齢を重ねて改めて聴いてみると、素晴らしい不世出の歌手であることがわかりました。
そこで、青江三奈の大ヒット曲はもちろんのこと、その他魅力的な曲をいくつか紹介して、若い人たちにも青江三奈の魅力を伝えて風化させないようにしたいと考えた次第です。
青江三奈は1941年に東京都江東区で生まれ、2000年に惜しくも59歳の若さで病死しています。
青江三奈と言えばハスキーボイス、ハスキーボイスと言えば青江三奈と言われたくらい、特徴のある声質であり低音が魅力の歌手でしたが、もうひとつ、青江三奈の最大の魅力はその素敵な笑顔です。
語りかけるような歌い方に加えて、その合間に見せる少し表情が崩れ気味の笑顔は非常にセクシーであり、男性ファンが圧倒的に多かった理由のひとつでもあります。
高校生卒業後は百貨店に勤務していたのですが、歌手になった最大のきっかけは後に青江三奈の夫になる作曲家の花礼二との出会いです。
女友達に誘われて行った湘南での海水浴で偶然作曲家・花礼二と出会い、これが転機となりました。
花が作曲家だと知った青江は、彼からジャズ、シャンソン、カンツォーネ、演歌など様々な歌を教わり始めました。
その後、花が青江を「銀巴里」に売り込んだことでオーディションに合格し、クラブ歌手として銀巴里の他銀座や横浜などの店で歌うようになります。
その後、青江のステージを見たビクターレコードのディレクターからスカウトされ、1966年にデビュー。
そしてデビュー曲「恍惚のブルース」はヒットしました。
青江三奈が後に松坂慶子との対談で言ってますが、デビュー曲がいきなりヒットするとは夢にも思わず、お星さまが天から降ってくるのと同じくらい有り得ないことだと思っていたそうです。
ところが、現実に「恍惚のブルース」がヒットし幸先の良いスタートをきることになります。
「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来するものだそうです。
1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビューし、80万枚を売り上げるヒットとなり、特徴的なハスキーな低い声で歌うブルース演歌が評判となり大人気になりました。
1968に冒頭部分の「セクシーなため息」が有名な『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚をそれぞれ売り上げていずれもをミリオンセラーを記録。「伊勢佐木町ブルース」で第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞しました。
1969年に『池袋の夜』が150万枚を売り上げて自身最大のヒット曲となり、史上初めて2年連続で第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。同年の『国際線待合室』も75万枚を売り上げて、1969年度のレコード年間売上金額は青江が全歌手の中で1位、翌1970度は4位でした。
また1968年に松竹映画の『いれずみ無残』に出演したのを皮切りに、その後1971年までの間に日活の「女の警察シリーズ」や東映の「夜の歌謡シリーズ」など10本以上の映画に脇役として出演しました。
青江三奈は映画のワンシーンで歌っている映像がいくつかあります。
次に青江三奈の大ヒット曲はもちろん、大ヒットまではしなかったものの魅力的な歌をいくつか紹介していきます。
まずは、デビュー曲である「恍惚のブルース」
『恍惚のブルース』 1966年 川内康範作詞 浜口庫之助作曲
『伊勢佐木町ブルース』 1968年 川内康範作詞 鈴木庸一作曲
言わずと知れた青江三奈の代表曲 この歌で青江三奈は一世を風靡し、その名は人々の記憶に長く留まることになる。
「伊勢佐木町ブルース」のイントロの青江による『色っぽい吐息』は、元々楽譜にはなかったそうで、レコーディング時にスタッフから「伴奏のみのイントロがちょっと寂しい」との指摘があり、「もう少し色気をだしてみよう」との提案が出て『色っぽい吐息』を追加することが決まったそうです。
『長崎ブルース』 1968年 吉川静夫作詞 渡久地政信作曲 青江三奈3大ヒット曲のひとつ
『新宿サタデーナイト』 1968年 佐伯孝夫作詞 鈴木庸一作曲 伊勢佐木町ブルース同様に鈴木庸一作曲で、どこかジャズっぽい名曲。
『池袋の夜』 1969年 吉川静夫作詞 渡久地政信作曲 青江三奈最大のヒット曲
『国際線待合室』 1969年 千坊さかえ作詞 花礼二作曲 花礼二は後に青江三奈の夫となる。
『神戸北ホテル』 1975年 橋本淳作詞 吉田正作曲
『おんな酔い』 1975 千家和也作詞 井上忠夫作曲 迫力あります。
『酔心』 1980年 千家和也作詞 千葉毅作曲
『大阪ブルース』 1983年 水木かおる作詞 鈴木邦彦作曲
東京のとある庭師が青江三奈から造園を依頼されたことがありまして、仕事が一段落した休憩時間に、青江三奈が自分でおにぎりを握ってその庭師や従業員にご馳走したそうです。
その庭師は大変恐縮し、また感激したと何かの手記に書いていました。
青江三奈は東京の下町生まれの下町育ちであり、誰からも好かれる庶民的で気さくな性格だったようです。
この昭和が産んだ不世出の女性歌手は、個人的には史上最高の歌手と高く評価していますし、今後も長く記憶に留めたいと考えております。
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